私はかつて、自分の部屋の床を数年間一度も見たことがないという生活を送っていました。玄関から奥の部屋まで、腰の高さまで積み上がった不用品とゴミの山。その中で私の寝床は、ゴミの山の頂上付近に作られた、わずか五十センチ四方のくぼみでした。そこには、いつ洗ったかさえ思い出せない、薄汚れた毛布が一枚置かれているだけでした。ゴミ屋敷に住む人の多くがそうであるように、私もまた、最初はほんの少しの散らかりを放置しただけだったのです。しかし、一度床が見えなくなると、そこから先は坂道を転がるように生活が崩壊していきました。寝床がゴミに侵食されていく過程は、自分の尊厳が削り取られていく過程でもありました。深夜、ゴミの隙間に体を潜り込ませ、硬い角や袋の感触を背中に感じながら眠りにつくとき、私は自分が人間であることを忘れようとしていました。冬はゴミの山が断熱材のようになり、奇妙な温かさを感じることさえありましたが、夏は地獄でした。湿ったゴミから発生する異臭と、耳元をかすめる害虫の羽音。そんな環境でも、私はそこから逃げ出す気力を失っていました。私が断捨離を決意したのは、ある朝、目覚めたときに自分の体がゴミの山に飲み込まれ、動けなくなっているような感覚に襲われたからです。このままではここで死んでしまう、という本能的な恐怖が私を突き動かしました。清掃業者を呼び、最初に私の寝床となっていた場所のゴミが運び出されたとき、そこから出てきたのは数年分の虚無そのものでした。床が剥き出しになり、新しい布団を敷いた夜、私は数年ぶりに足を伸ばして横になりました。平らな場所で眠ることが、これほどまでに贅沢で、心安らぐことだとは知りませんでした。ゴミ屋敷を抜け出した今、私は毎朝、綺麗に整えられたベッドで目覚めます。あのゴミの山の上で凍えていた日々は、もう遠い過去のことです。しかし、あの時の絶望感を忘れることはありません。清潔な寝床がある。ただそれだけのことが、私にとっては人生を再生させるための最大の土台となったのです。