かつて私の部屋は、静かなゴミの城でした。外界との接触を絶ち、スマートフォンの画面を眺めながら、毎日三食カップラーメンを啜る。それが私の世界のすべてでした。足元には、昨日食べた容器、一週間前に食べた容器、そしていつ食べたかさえ思い出せない容器が、地層のように積み重なっていました。ゴミ屋敷になる過程で、人は少しずつ感覚を失っていきます。最初は不快だったラーメンの腐敗臭も、いつしか自分の体臭の一部のように感じられ、違和感がなくなっていきました。床が見えなくなるにつれて、私の心もまた、深い霧の中に隠されていったのです。そんな生活に終止符を打ったのは、ふとした拍子に鏡に映った自分の姿を見たときでした。不健康な顔色、生気のない目、そして背後に広がるゴミの山。これが自分の人生なのかと、強烈な吐き気が私を襲いました。私はその場で震える手でスマートフォンの電源を切り、目の前のラーメンの山を崩し始めました。作業は想像を絶する苦行でした。容器の中から溢れ出す古いスープ、這い出してくる虫、そして巻き上がる埃。しかし、それらはすべて私が生み出したものであり、私が責任を持って消さなければならないものでした。袋が一ついっぱいになるたびに、私の呼吸は少しずつ軽くなっていきました。断捨離とは、単なる片付けではなく、自分自身の弱さを一つずつ拾い集め、適切に処理するプロセスなのだと気づきました。部屋を片付けることは、五感を研ぎ澄ますことでもあるのだと、その時初めて知りました。ゴミ屋敷というノイズに囲まれていたときは、私の脳は常に過負荷状態で、味覚や嗅覚を正常に機能させる余裕がなかったのでしょう。断捨離を終えた今、私は以前のようにジャンクな食事を欲することがなくなりました。数日かけて部屋を空にしたとき、私は初めて、自分の部屋に差し込む日光の美しさを知りました。麺を啜る音しか聞こえなかった部屋に、今は風の音が聞こえます。ゴミ屋敷を脱出した私が学んだのは、物を溜め込むことは自分を傷つけることと同じだということです。今、私の手元にあるのは、使い古された一つの鍋だけです。自分の手で具材を切り、料理を作る。その当たり前の時間が、どれほど贅沢で尊いものかを、私はゴミの城での日々を通じて学びました。
麺を啜る音だけが響いていたゴミの城での日々