私の部屋が汚部屋からゴミ屋敷へと変貌を遂げたのは、ほんの数ヶ月の間のことでした。最初はただ、仕事が忙しくて洗濯物が溜まり、コンビニの袋を捨てるのが面倒になっただけだったのです。しかし、ある夜、帰宅して暗い部屋の照明をつけたとき、私は自分の足元に床が一切見えないことに気づき、背筋が凍るような恐怖を覚えました。それが、私にとっての明確なボーダーラインでした。私たちの多くは、自分の皮膚を境界として内側と外側を区別していますが、ゴミ屋敷の住人は、その境界線が部屋の壁まで拡大してしまっている、あるいは逆に完全に消失してしまっている状態にあります。物を捨てられないという心理の裏側には、その物を自分の一部であると感じてしまう同一化があります。物を捨てることは、自分の体の一部をもぎ取られるような痛みとして感じられるのです。それまでは、散らかってはいるけれど、いつでも片付けられると自分に言い聞かせていたのです。しかし、床という生活の基盤を失った瞬間、部屋はもはや私の居場所ではなく、得体の知れない物の集合体に支配された異空間へと変わっていました。ゴミ屋敷になる人には、ある共通の心理的な壁があるように思います。それは、境界線を越えてしまったことへの自己嫌悪から、現実を直視できなくなるという防衛本能です。私もそうでした。一度、床を埋め尽くしてしまった後は、もう一袋ゴミが増えようが二袋増えようが、状況は変わらないという歪んだ思考に支配されました。ゴミの上を歩くという行為に慣れてしまったとき、私の人間としての尊厳は、そのボーダーラインの向こう側に置き去りにされてしまったのです。今振り返れば、あの時が最後のチャンスでした。まだゴミが膝の高さまでであれば、友人に泣きついて助けてもらうこともできたはずです。しかし、胸の高さまで不用品が積み上がってしまったとき、私は部屋の鍵を閉め、社会との境界線、つまりボーダーを自ら断ち切ってしまいました。ゴミ屋敷とは、単に物が溢れた場所ではなく、孤独が物理的な形を持って現れたものです。あの時の床が見えなくなった瞬間の絶望感を、私は一生忘れることはないでしょう。そして、今まさにその境界線に立っている人がいるならば、どうかその足を止めて、引き返してほしいと切に願います。